2020年11月14日

11月14日(土)

尼崎市消防団にとって重要な3大地区別大会の内、8月の水防工法、10月のポンプ操法はともに中止となり、唯一、消防車両の管理状態や団員の俊敏な動作などをチェックする機械器具点検が11月8日に実施されたのですが、その結果が判明しました。
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(↑)当日8日、立花北小学校で行われた様子。
結果は立花地区が見事1位に輝き、市内58分団の中から選出される優良分団においても、立花地区の栗山分団が栄誉に輝きました。
受賞をお慶び申し上げますとともに、出場された6地区全消防団員の皆さん、本当にご苦労様でした!

ところで、11月1日には国内で、3日には全世界が注目する政治的イベントが繰り広げられ、同じように赤と青に色分けされた地図が新聞やTVに溢れました。
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大阪都構想は、吉村知事のコロナ対策で発揮したリーダーシップや発信力で高い支持率を上げており、公明党の支持もあって、当然賛成多数と私自身思っていましたし、世間でもそのように捉えられていたはずですが、予想に反して5年前よりも多い17、167票差で否決されました。
興味深かったのは、大阪市内24区の賛否が東成区を除いて、5年前と全く同じ結果だったということでした。
大阪の南北問題?南北格差?とでも言えるのかも知れませんが、僅差とはいえ明らかに、北部は変革を求め、南部は保守的な市民の傾向が見られるのでしょう。
確かに、阪神間に住む私たちにとって、大阪と云えば梅田、ミナミの北部であり、難波以南はほとんどなじみが薄いのではないでしょうか。
近畿大学に通い、長堀橋で10年間勤めていた私でさえ、平野や住吉といった土地は珍しい地名、杭全(くまた)や喜連瓜破(きれうりわり)の所という程度でしかありません。
そこで、大阪の南北の違いは都市としての歴史的成り立ちに起因するのかな、という疑問を抱いていたところ、会派室に面白い本を見つけました!
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著者は横山好三氏、1948年生まれの建築を学び、大阪市大大学院で都市経済政策を専攻された方のようです。
古代、河内湖があったころから始まり、上町台地北端の難波宮造営と日本で最初の官寺の四天王寺が建立された後は、15世紀末に石山本願寺ができるまで、寂しい寒村であったようです。
この時、石山本願寺を建てた蓮如が初めて「大坂」という地名を記しているそうです。
そして、10年に及ぶ織田信長による本願寺攻めを経て、豊臣秀吉が石山本願寺跡に大坂城を建設し、大坂の都市としての整備が始まります。
秀吉は大坂城を北の頂点として、四天王寺までの地割を行い、そこに平野郷と堺の商人たちを移住させ、西側の船場へと拡張した。
しかし、秀吉亡き後、「天下の台所」としての都市の発展を推し進めたのは江戸幕府であり、ピーク時の人口はおよそ40万人であったそうです。
そこから一挙に下って明治維新では、幕領であった大坂は新政府から冷遇され、没落の一途をたどるものの、商魂たくましい大坂商人は近代化、工業化へと突き進み、「商人」から「実業家」へと変貌して行った。

極めて簡潔に羅列してきましたが、今日の大阪の歴史的基礎はやはり秀吉であり、国家的事業であった大坂城建設や大坂の町割りに多くの大名や建築集団を伏見や近隣から寄せ集め、堺、平野郷、伊勢、近江から商人を強制的に移住させ、上町台地の南北上を町の中心とした。
つまり、大坂城以南が古くからの大坂という町であり、大川以北は近世大阪と云うことが言えるのではないでしょうか。
大阪の南北問題、私の勝手で単純な考察とさせていただきます(^^!
posted by まる鉄ちゃん at 14:17| その他